Our History

住友は、400年の歴史を通して誠実に事業に取り組み、取引先や社会など全てのステークホルダーの豊かさと夢の実現に貢献することで信用を積み重ね、さらに新たな事業の発展につなげるという好循環を生み出してきました。住友商事グループの経営理念・行動指針の原点は、400年にわたり脈々と引き継がれてきた住友の事業精神にあります。

1600年

文殊院旨意書

宗教家であった住友家初代政友(1585~1652年)が晩年に家人に宛てた書状であり、商売上の心得が簡潔に説かれています。

冒頭に、「商事は不及言候へ共万事情に可被入候」とあり、これは、「商売は言うまでもないが、全てのことについて心を込めて励むように」という心構えを説いたものです。

また、「相場より安いものが持ち込まれても出所がわからないものは盗品として心得よ」、「誰であろうと宿を貸したり、編み笠を預かったりするな(当時、幕府はこれらの行為を御法度として禁止していた)」、「短気になって言い争わず、繰り返し説明するように」と説いており、これらは、浮利を追わない(「正々堂々」と説明できるビジネスを行い、正当な対価を得る)、コンプライアンス、信用・確実といった住友の事業精神の源として現代に引き継がれています。

文殊院旨意書(写真提供/住友史料館)

1800年

住友家法

1691年に開坑された別子銅山は、明治維新期に、銅価格の下落、米その他の物価高騰による操業コストの上昇、諸大名に用立てていた御用金の回収難といった事態を受け、売却の話さえ持ち上がりました。当時別子の支配人であり、後に住友家初代総理事となった広瀬 宰平(1828~1914年)は、洋式技術の導入など思い切った近代化を図る経営改革で、別子銅山の難局を乗り切ったことで知られています。

広瀬は総理事であった1882年に、250年間続いた住友の事業精神をまとめた「住友家法」19款196条を制定しました。第1款第3条には「我営業は確実を旨とし、時勢の変遷、理財の得失を計りて之を興廃し、苟くも浮利に趨り軽進すべからざる事」と記され、「事業活動の基本は健全性であり、時代の変遷を捉え、先見性を持って柔軟に事業の選別を行うべきだが、決して浮利を追いかけるようなことがあってはならない」という企業理念を成文化しました。

住友家初代総理事
広瀬 宰平
(写真提供/住友史料館)

1900年

営業の要旨

1891年に「住友家法」は、家法(企業のルール)と家憲(家長の心得)に分割され、所有と経営の分離を明確化しました。その際、前述の企業理念に「信用を重んじ」という内容を加えて「営業の要旨」とし、これを家法の冒頭に掲げました。住友の事業が鉄鋼産業、機械産業、化学産業などさまざまな分野に広がる中で、1928年に「住友社則」が制定されました。「営業の要旨」2カ条は、次のとおり「住友社則」にも引き継がれ、その後も住友各社の社是として継承されています。第1条「我住友の営業は信用を重んじ、確実を旨とし、以て其の鞏固隆盛を期すべし」

第2条「我住友の営業は時勢の変遷理財の得失を計り、弛張興廃することあるべしと雖も、苟くも浮利に趨り軽進すべからず」

住友商事経営活動憲章

住友商事は、1919年に大阪北港(株)として設立され、戦後に日本建設産業(株)と名を改めて商事活動を開始しました。

1952年に現在の社名に改称し、「営業の要旨」を経営理念に掲げて成長を遂げてきました。

戦後に経済が急成長を遂げる中で公害問題、物価上昇などが起こり、国と企業、企業と国民の関係をどう位置付け、企業の行動規範はどうあるべきかが厳しく問われるようになりました。そのような時代背景を受けて、1973年に住友商事独自の「経営の基本理念」と「業務執行の準則」から構成される「経営活動憲章」が制定されました。

営業の要旨

日本建設産業(株)が
本拠とした住友ビル分館

2000年

住友商事グループの経営理念・行動指針

1990年代初めにバブル経済が崩壊する一方、急激な円高が進行し、日本経済が長期の低成長局面を迎える中で、当社もこれまでのビジネスのやり方やリスク管理手法などの見直しを迫られるようになりました。

400年の歴史の中で幾度となく経営危機を乗り越え、ビジネスを継続するベースとなってきた住友の事業精神にもう一度立ち戻る必要があるとの気運は、1996年に起こった銅事件によりさらに高まり、1998年に「住友商事グループの経営理念・行動指針」が制定されました。

この「経営理念・行動指針」は、住友400年の歴史を通して培われた「住友の事業精神」をベースに、今日的かつグローバルな視点を加えて、平易かつ体系的に整理し直したものです。前文にある「常に変化を先取りして新たな価値を創造し、広く社会に貢献するグローバルな企業グループ」は、住友商事グループが「目指すべき企業像」を表しています。

経営理念第1項目の「健全な事業活動を通じて豊かさと夢を実現する」は、住友商事グループの「企業使命」を、第2項目の「人間尊重を基本とし、信用を重んじ確実を旨とする」は、住友商事グループの「経営姿勢」を、第3項目の「活力に溢れ、革新を生み出す企業風土を醸成する」は、住友商事グループの「企業文化」を表しています。

この経営理念を踏まえながら日常の業務を遂行するうえでのガイドラインとして制定しているのが「行動指針」です。

住友商事グループの経営理念・行動指針

目指すべき企業像

私たちは、常に変化を先取りして新たな価値を創造し、広く社会に貢献する
グローバルな企業グループを目指します。

経営理念

〈企業使命〉

健全な事業活動を通じて豊かさと夢を実現する。

〈経営姿勢〉

人間尊重を基本とし、信用を重んじ確実を旨とする。

〈企業文化〉

活力に溢れ、革新を生み出す企業風土を醸成する。

行動指針

  • 住友の事業精神のもと、経営理念に従い、誠実に行動する。
  • 法と規則を守り、高潔な倫理を保持する。
  • 透明性を重視し、情報開示を積極的に行う。
  • 地球環境の保全に十分配慮する。
  • 良き企業市民として社会に貢献する。
  • 円滑なコミュニケーションを通じ、チームワークと総合力を発揮する。
  • 明確な目標を掲げ、情熱をもって実行する。

住友商事の事業活動の変遷を見る

私たちは、常に変化を先取りして新たな価値を想像し、広く社会に貢献するグローバルな企業グループを目指します。

  • 1950年代以前 住友商事のルーツと商事部門への進出
  • 1950年代 創成期経営基盤の確立
  • 1960年代 業容拡大への体制整備
  • 1970年代 「総合商社」としての経営基盤確立
  • 1980年代 総合事業会社構想の推進
  • 1990年代 グローバル連結経営の深化─「経営理念」の制定
  • 2000年代 「改革パッケージ」の実行から新たな成長ステージへ
  • 2010年代 「Be the Best, Be the One」─創立100周年に向けて

1950年代以前 住友商事のルーツと商事部門への進出

1919年:創業

当社のルーツは、1919年12月に設立された大阪北港株式会社。大阪北港地帯の造成と隣接地域の開発などを行い、不動産経営にあたっていた。

1945年:商事部門への進出

1945年、日本建設産業株式会社と改称し、新たに商事部門への進出を図り、従来関係のあった住友グループ各社の製品をはじめ、各大手生産会社の製品の取扱いに従事。以後、事業活動の重点を商事部門に置き、取扱品目並びに取引分野の拡大に努める。

1950年代 創成期─経営基盤の確立

1950年:海外進出

ボンベイ(現インド・ムンバイ)に初の駐在員を派遣、1952年にはニューヨークに米国法人を設立し、海外進出の布石を打った。

1952年:住友商事株式会社へ改称

1945年に出されたGHQによる財閥解体指令に伴い受けていた「住友」の商号・商標使用制限が、1952年の日米安全保障条約の発効を受けて廃止され、当社は社名を「住友商事株式会社」に改称した。

1960年代 業容拡大への体制整備

1962年:商品本部制の導入

商圏拡大や取引量増大に伴い、取引責任・採算責任・人事権限を、事業ごとに設置した本部に集約し、全社の事業を統一した方針で推進する制度として、商品本部制を導入。大阪・東京の各営業部門を一体化し、「鉄鋼」「非鉄金属」「電機」「機械」「農水産」「化成品」「繊維」「物資燃料」「不動産」の9本部を設置した。

1970年代 「総合商社」としての経営基盤確立

1977年:「ビッグスリー&ベストワン」

1977年、「ビッグスリー&ベストワン」のスローガンを掲げ、売上高で業界第3位、収益性や効率性を高め、総合評価の面で第1位を目指す経営に尽力した。

1979年:営業部門制の導入

1979年、業容の拡大に伴い、営業部門制を導入。「鉄鋼」「機電」「非鉄化燃」「生活物資」の4営業部門を設置。分権化を促進し、結果、営業面の機動力は大きく向上した。

1980年代 総合事業会社構想の推進

1988年:「総合事業会社構想」

1988年、企業ビジョンである「総合事業会社構想」を打ち出した。同構想は、従来の商事活動を基盤として、「①事業活動の積極化 ②川下事業の展開 ③総合力の強化」を推進し、商事活動と事業活動を当社の収益の2本柱とした収益構造の構築を目指すものであった。

1990年代 グローバル連結経営の深化─「経営理念」の制定

1996年:銅地金不正取引事件

当社営業部長が、会社に秘匿して銅地金の不正取引を行ったことで、約2,850億円もの損害が発生、事態収束までに約10年を要した。当社はこの事件を教訓として、再発防止に向けた社内管理体制を整備した。

1998年:「経営理念・行動指針」制定、「リスク・リターン」経営導入

1998年、これまでの経営活動憲章を見直し、「経営理念・行動指針」を新たに制定した。また、一定のリスクに対して、どの程度のリターンを上げているかという収益性を見る全社共通のモノサシとして、「リスク・リターン」を導入した。

2000年代 「改革パッケージ」の実行から新たな成長ステージへ

2000年:中期経営計画の実行

1999年より開始した中期経営計画「改革パッケージ」では、「①コアビジネスの拡充による収益拡大 ②リスクアセットマネジメントによる体質強化 ③効率経営の追求 ④コスト競争力の強化」を掲げ、経営改革を進めた。以降、2年ごとに「Step Up Plan」「AA Plan」「AG Plan」「GG Plan」といった中期経営計画を策定・実行し、収益基盤の強化に取り組んだ。

2001年:本社移転

2001年、大阪本社及び東京本社の名称を廃止し、本社機能を東京に一元化したうえで、東京都中央区の晴海トリトンスクエアに本社を移転。さらにブロック制を導入し、関西ブロック、中部ブロック、九州・沖縄ブロックを発足させた。当社が主体となって開発を進めた晴海トリトンスクエアは、開発規模3,000億円と、当時の国内最大規模の商業施設プロジェクトとして、広く注目を集めた。

2010年代 「Be the Best, Be the One」─創立100周年に向けて

2015年:大型減損損失による赤字決算

リーマン・ショック後、収益基盤の強化に取り組んできたが、2015年3月期、複数の大型案件において減損損失を計上。16年ぶりの赤字決算となった。

1998年:新中期経営計画「Be the Best, Be the One 2017」を策定

2015年、「グループ一丸となって課題を克服し、「目指す姿」への道筋をつける」をテーマに、新中期経営計画「Be the Best, Be the One 2017」を策定した。