グローバル事例
巨匠とともに良質な映画を世界へ
広報パーソン探訪記
2018年03月掲載
制作チーム乾 麻美
2007年入社。油井管の貿易実務、企画業務を経て15年に広報部へ異動。現在はグローバル社内報や、国内外の住友商事社員インタビュー、コーポレートサイトなどを担当。学生時代は映画館でのアルバイト、ベルリン留学時には映画祭でのインターンシップを経験。映画が好きで、年に100本見ることが目標だが、ここ数年は50本程に留まっていることが心残り。夢は映画作品のエンドロールに自分の名前が流れること。
日本の映画産業は2,200億円市場。毎年約1,200本の作品が上映され、年間約1億7千万人の観客が映画館を訪れる(※)。実は住友商事も映画ビジネスに深い関わりを持つ。不朽の名作『男はつらいよ』の原作・脚本・監督を手掛けた山田洋次監督の作品に1993年から出資を続けており、2018年5月25日(金)公開の『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』で15作目となる。11月初旬、本作の撮影現場を訪れ、長年、山田監督と共に映画製作に携わっている深澤宏プロデューサーにお話を伺った。
※2017年 一般社団法人日本映画製作者連盟
映画のはじまりと日本の映画業界
1895年、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、商業映画として出したのが映画の始まりと言われている。その後アメリカに伝わり、映画製作は天候に左右されないロサンゼルス近郊(現在のハリウッド)に拠点を移した。日本の映画産業は、1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、翌年にGHQによる映画検閲が廃止されたので、日本映画の黄金期と言われる1950年代に映画産業が盛んになる。山田監督の所属する松竹は、製作、興行(劇場)、配給(営業および宣伝)の機能を持ち合わせた映画会社4社のうちの一つで、日本映画製作者連盟に加盟している。当時、俳優、監督、脚本家は映画会社に所属しており、山田監督は1954年に松竹演出部に入社された。
住友商事の「山田組」出資作品の歴史
1993年。制作中の作品の資金集めに奔走していた深澤プロデューサーは、当時の日本長期信用銀行に相談したところ、住友商事が映画出資をしていることを耳にした。そこで、山田監督が15年も温めていた『学校』(※)の企画を紹介すると、脚本を読んだ当時の担当者は、出資を決定。さまざまな境遇の教師や生徒像を通して教育とは何かを問うたこの作品は、同年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。
※山田監督作品への記念すべき出資第一作目。1993年から2000年までに計4作のシリーズが公開され、人気を博した。
山田洋次監督は、69年から95年までの間に48作を製作し、日本中から愛された“寅さん”でおなじみの『男はつらいよ』の原作・脚本・監督や、『釣りバカ日誌』シリーズの脚本を手掛けた。2000年代に制作された『たそがれ清兵衛』や『おとうと』は、ベルリンなど海外の映画祭に出展されており、国内外から幅広く愛される作品を精力的に生み出し続け96年に紫綬褒章を受賞、2004年には文化功労者に選ばれ、12年には文化勲章を受章した。14年には巨匠、小津安二郎監督の作品『東京物語』をオマージュした『東京家族』を制作。翌年には、同じキャストで、『男はつらいよ』以来の喜劇となる『家族はつらいよ』シリーズの第1作目を完成させた。18年公開の『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』で第3作目となる。
当社は、長きにわたって『学校』以降のすべての山田監督作品に出資を続け、さらには映画製作・配給を手掛けるアスミック・エース(JCOMグループ)の運営など、映画ビジネスを積極的に展開してきた。2016年にはアニメ制作プロジェクト『あにめのめ』関連作品への出資や、米国の大手メディアコングロマリットで、映画や人気テレビシリーズの制作、デジタルメディアビジネスなどを手掛けるザ・チャーニングループとの資本提携を実施。メディア・エンターテインメント事業へのビジネス拡大を積極的に図っている。
住友商事の出資 15作目 『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』撮影現場へ
今回訪れた東宝撮影所は約2万3,000坪あり、そのうちセットは2万坪分使用できる。エントランスを入ると『ゴジラ』の等身大模型と、壁に描かれた『七人の侍』の巨大なイラストに出迎えられた。近年製作費は縮小傾向にあるため、膨大な製作費がかかるセットでの撮影は、とても貴重だ。新作は、その中でも400坪もの最大敷地面積を使用しての撮影。過去の山田監督作品では、木村拓哉主演の時代劇『武士の一分』が同じ撮影ステージを使用し、メインとなる武家屋敷を丸ごと設営した。
新作『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』は、家族に起こるさまざまな事件をコメディタッチで描く『家族はつらいよ』シリーズの第3弾。3世帯が問題解決のために集まって「家族会議」をするシーンが見どころの一つだ。平田家長男の家に両親が同居する住宅が丸ごとセットで作られている。昼夜問わずライティングや間取りを自由自在に動かせ、最適なアングルで撮影できるのがセットの醍醐味(だいごみ)だ。
撮影は、8畳ほどのスペースにキャストの他20人程のスタッフがスタンバイしており、身動きが取れないほど密集している。監督は台本1ページのやりとりを何度も読み合わせ、テストを繰り返して丁寧に本番に向けて仕上げていく。脚本も手掛ける監督だけあって、セリフには強いこだわりを持っており、台本が完成しても撮影のたびにセリフを練り直しているそうだ。当日「号外」という形でセリフが変わることも少なくないという。
今作は約2時間の作品。それをだいたい2カ月ほどで撮影していく。朝から晩まで1日撮影をして映像化されるのは約2~3分で、その積み重ねの結果が一本の映画になるがカットされるシーンも多くあると言う。人々の心を揺さぶり、明日への活力となる作品は、非常に気の遠くなるような作業の積み重ねで紡ぎ出されていることを身をもって感じた取材だった。
(おまけ)
セット撮影は、360度自由なアングルで撮影することを目的としているので基本屋根がない。平田家1階の居間と2階の寝室も別のセットで作られている。実際の映像は屋根をCG合成しているのだ。無論、隣の家も存在しないが、窓や家の内装の一部分が精巧に作られていた。庭の落ち葉や外の風は扇風機を使って自然な動きを演出している。細部も手を抜かない匠の技を見た。
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